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Your search : [ author:北京大学歴史学部主任 周一良] Total 5 Search Results,Processed in 0.092 second(s)
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1. 阿倍仲麻呂と唐代詩人の友情
歴史をいろどる 中日人民の友宜 中日両国人民の友宜と経済·文化交流は、すでに二千年の歴史をもっている。 いまから百八十年まえ、つまり一七八四年(天明四年)の二月のこと、築前国(いまの福岡県)糟尾郡の百姓甚兵衛がたんぼの水路をさらっているとき、大きな石をほりあて、その下になにか光るものがあるのを発見した。甚兵衛はそれを手にとって、よくどろを洗いおとしてみると、金印で、〈漢委奴国王〉という文字が印面に
Author: 北京大学歴史学部主任 周一良 Year 1963 Issue 1 PDF HTML
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2. 宋代における中日の経済交流
中国の封建社会は、宋代(九六〇~一二七九年)になっていっそうの発展をとげ、社会経済や商業、対外貿易は、唐代の極盛期にもみられなかったほどの繁栄をしめした。南宋では淮河(ホワイホー)、揚子江(ヤンツーチヤン)以南の地をたもつのみとなったが、生産力は高まり、商品の生産、流通ともに北宋をしのぐものがあった。そのころはまた航海術も唐代よりはるかに進歩し、すでに羅針盤が使われるようになっていたので、天体の位
Author: 周一良 Year 1963 Issue 3 PDF HTML
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3. 漢字で結ばれた中日文化のつながり
中日両国人民間の文化のつながりはきわめて密接で、その歴史もふるく、「源も遠く流れも長い」ということができる。このような友好関係は文学、史学、哲学、美術、音楽、舞踊といった各方面での交流や相互間の影響の中にしめされている。そういう関係をあらわす重要なものとして、両国人民が今日もひきつづきつかっている漢字とおびただしい量にのぼる漢語がある。中日両国人民は、長い間にわたって同じ漢語をつかって思想感情を表
Author: 周一良 Year 1963 Issue 6 PDF HTML
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4. 遣唐使
中日両国の文化·経済交流は唐代(六一八~九〇七年)になって大きな発展をとげ、一つの新しい段階に達した。日本の留学生や学問僧がたえず中国をおとずれるようになり、そのなかには唐からも朝廷の使者やその他の僧侶が日本へ渡っており、両国のあいだでは使臣が往来して土地の産物が贈答され、両国の文化·経済の交流が促進された。唐代の中日両国間の文化と経済のつながりはひじょうに密接で、両国人民の友宜をつたえる物語もひ
Author: 周一良(チヨウイーリヤン) Year 1963 Issue 11 PDF HTML
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5. 中日両國民の二千年の友好
中國人民と日本人民は二千年にわたる深い友好関係をもち、経済のうえでも文化のうえでもたがいに影響しあつてきた。こんにちの日常生活のなかにも相互の影響はいたるところに出ている。たとえば、日本人の間にはむかしから中國人とおなじように茶をのむ習慣がある。これなどももとをさかのぼれば十二、三世紀のころ日本の禪僧が茶の木を中國からもちかえつて栽培し、喫茶の風をひろめたことからうまれたものである。日本の扇が朝鮮
Author: 邵循正(シヤオシユインチヨン) 周一良(チヨウイーリヤン) Year 1956 Issue 1 PDF HTML